片付けが、最低な私を救ってくれた
おはようございます。今日はひとつ前の記事の続きを書きます。
やるなら今。片付けはじめるのにいい年3回のベストシーズンがやってきました50代は、体力や気力がまだ残っていて子供も独立する時期。
この時期が、片付けを本気ではじめるのにちょうどいいとよく言われます。
でも私の場合は、ここで書いてきたように、息子を亡くしたことが片付けの大きなきっかけになりました。
それが、私がちょうど50歳のときです。
大げさかもしれませんが、私は片付けに救われました。
辛い思いをしている人に
もし今、なにかで辛い思いをかかえて、身動きが取れなくなっている方がいらしたら、その気持ちをまず一枚の紙に書きだしてみてほしいです。
私がブログに書き続けたように。
物の片付けだけが片付けじゃないと思うのです。
心の中に泥のようにたまっていることに目を向ける。
それを取り除ける手段がないか考えてみる。
はじめはわからなくても、だんだんと、自分にあった解決方法が見えてくると思います。
それを見つめて一つずつ行動に移していくことができたら、自信につながります。
心から自分を労わってあげることもできるようになってきます。

片付けが、最低な私を救ってくれるまで
息子を亡くしたあとは、ふつうなら嘆き悲しむ日がもっとずっと続くものでしょうが、私は少し違いました。
育てるのが難しい子をけんめいに育ててきたつもりだったので、悲しいのはたしかなのです。
でも、自分のほんとうの感覚がつかめないまま、過ごしていたように思います。
別ブログには、毎日のようにしんどい気持ちを綴っていました。
ただ、それだけでは心が静まることはありませんでした。
「とにかく手を動かして、何かに没頭したい」
「とにかく手を動かして、何かに没頭したい」
百箇日が済んだころからこの気持ちが強くなり、それが片付けのほうへ向かいました。
「○○くんの物の片付けなんて、まだ早いのでは」
家族や友人からは、こう言われました。
私も逆の立場ならそう言ったかもしれません。
その片付けには無理がある、と言われても
ブログでも、息子の部屋の片付けの様子を書き続けました。
そのことに対しては、匿名でご注意を受けることが何度かありました。
ですが、私は片付けの手を止められませんでした。
何かに突き動かされているような感覚です。
やがて息子の遺品だけでなく、家じゅうの片付けをはじめることにしたのでした。

*この画像はもっとあと。娘が出産後に里帰りしてくると決まってから、息子の療育記録を処分しようと決めたときのものです。
なぜ、そんな最低の状態での片付けをやめなかったか
なぜ、そんな最低の状態でも片付けをやめなかったか。
それは、片付けをすすめるたびに心が落ち着いていったからです。
簡単ではありませんでしたが、確実に自分が変わってくるのを感じました。
少しずつでも片付けることで、自分を慰めていたのかもしれません。
いっぽうで、片付けたことで見たくなかった事実も見えてきました。
自分が片付けが苦手だったから片付けられなかった。
なのに、それを、重い自閉症の息子のせいにしていたことに気付かされたのです。
気付いてよかったと思います。
環境のせいにしていては、いつまでも片付かなかったと思うからです。
終わりに
片付けのきっかけは、たしかにこのような内容でした。
ですが、やめずに他の場所の片付けを続けているうちに、様々な効果を実感することになりました。
「どんな自分も認めて前向きに生きていこう」
片付けの効果の最終的なかたちが、この思いとなって私に残りました。
そう思えたとき、目の前がぱーっと開けていくように感じました。
あのときの感覚だけは、今も忘れられません。
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