息子の部屋の片付けをしていて気づいた、私がどうしても捨てられなかったものと、あらたに捨てはじめたものについて書きます。
私の欠点であり長所でもあると思えるのが、「ずっと気になってウジウジしているぐらいならサッサと動いてみよう」と、考え続けるのをやめて行動に移してしまうところです。
ただ、思い出のものだけはそうはいきませんでした。とくに亡くなった息子のものは。夫も娘も、息子のものをどうするかを私に決めさせてくれます。でも、だからこそ迷いながらここまで来ました。
目次
・いったん終了した思い出の品(遺品)の片付けを再開した理由
・その思い出はなんのために大事にしているのか
・「今なら捨てられる」という時の待ち方

(息子の部屋は東向で風もよく通るので、現在はこんな使い方をしています)
いったん終了した思い出の品(遺品)の片付けを再開した理由
息子の部屋の片付けは、いったん終了しています。にもかかわらず、時々こうして息子の部屋を片付けたくなるのは、現実的な理由の他に、二つの思いが私の心の中で日に日に大きくなってきたから。
「私はなんのために、息子のものを捨てずに置いているのか」
「これを残しておいたら、いずれ娘に負担をかけるのではないか」
そう思って処分しはじめたのが、鯉のぼりやぬいぐるみなどでした。
鯉のぼりを寄付した本当の理由【身軽に生きていくための片付け】 
その思い出はなんのために大事にしているのか
私が思い出のものを大事にしたいのは、過去を生きるためではなく、今の自分の支えにしたいからです。
思い出のものがなくても息子との濃い日々を忘れることはありません。けれど、残しておきたいものはまだたくさんあり、この先これをどうしようと思うことが増えてきました。
それに、思い出を、全て覚えていなくてもいいのではないかと考えるようにもなりました。変でしょうか?母親なのに…。
昨日この部屋に入って息子に関する書類を久しぶりに見たとき、内容を思い出せないものがありました。
障害者(児)関係の法律や制度に関するもの、入所施設や学校の概要、役員をしていた頃の会議の記録、療育日記と発作・投薬の記録。
これらは息子と私の日々そのものです。もっといえば、親子で必死にがんばった闘い記録です。
絶対に捨てられないと思っていました。でも、自分でまとめたはずの議事録を読んでも、ちゃんと思い出せませんでした。かなり細かく書いてあるのですが。
捨てたくなかった私が思い出せないのなら、置いておいても意味はありません。もう誰の役にも立たないし。
思い出さないということは、今の私を支えてくれるものではないのだとわかりました。
おわりに
そのあと続けて、エクセルでつけていた息子の睡眠時間や発作の記録も久しぶりに見はじめたのですが、こちらは辛くなって途中でやめました。もう少しようすを見て、考えていきます。
慌てないけれど放置はしない、今の私を支えてくれるものであれば残せばいい。
こんな感じで、「今なら捨てられるかも」と思えるタイミングをゆっくり待ちたいです。
わかっているのは、それらの思い出のものをすべて残したまま老いてしまうのは避けたいという一点。
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