今日は、息子の部屋の片付けをしていて気づいた、私がどうしても捨てられなかったものと、あらたに捨てはじめたものについて書きます。

ズボラだけどせっかちな私の欠点であり長所でもあると思えるのが、「ずっと気になってウジウジしているぐらいならサッサと動いてみよう」と、考え続けるのをやめて行動に移してしまうところです。
ただ、思い出の品だけはそうはいきませんでした。とくに亡くなった息子のものはそうです。
夫も娘も、息子のものをどうするかを私に決めさせてくれます。
でも、だからこそ迷いながらここまで来ました。
目次
・いったん終了した思い出の品(遺品)の片付けを再開した理由
・その思い出はなんのために大事にしているのか
・「今なら捨てられる」という時の待ち方

(息子の部屋は東向で風もよく通るので、現在はこんな使い方をしています)
いったん終了した思い出の品(遺品)の片付けを再開した理由
息子の部屋の片付けは、いったん終了しています。
にもかかわらず、時々こうして息子の部屋を片付けたくなるのは、現実的な理由の他に、二つの思いが私の心の中で日に日に大きくなってきたから。
「私はなんのために、息子のものを捨てずに置いているのか」
「これを残しておいて、はたして娘が喜ぶだろうか」
そう思って処分しはじめたのが、鯉のぼりやぬいぐるみなどでした。
鯉のぼりを寄付した本当の理由【身軽に生きていくための片付け】 
その思い出はなんのために大事にしているのか
私が思い出の品を大事にしたいのは、過去を生きるためではなく、今の自分の支えにしたいからです。
思い出の品がなくても息子との濃い日々を忘れることはありません。けれど、残しておきたいものはまだまだたくさんあり、この先これをどうしようと思うことが増えてきました。
その考え方が、最近少し変わってきました。
息子のものの
思い出を、全て覚えていなくてもいいのではないかと考えるようになりました。

昨日この部屋に入って息子関連の書類を久しぶりに見たとき、内容を思い出せないものがありました。
障害者(児)関係の法律や制度に関するもの、入所施設や学校の概要、役員をしていた頃の会議の記録、療育日記と発作・投薬の記録。
これらは息子と私の日々そのものです。
もっといえば、親子で必死にがんばった努力と反省の記録です。
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20歳以上の子どもを持つ親のつぶやき絶対に忘れないし、捨てられないと思っていました。
でも、自分でまとめたはずの議事録のなかみを、読んでもちゃんと思い出せませんでした。かなり細かく書いてあるのですが…。
20年以上も前の古い情報です。捨てたくなかった私が思い出せないのなら、置いておいても意味はありません。誰の役にも立たないし。
思い出さないということは、これはもう、今の私を支えてくれるものではないのだとわかりました。
「今なら捨てられる」という時の待ち方
そのあと続けて、他のファイルやノートを開いてみました。
睡眠時間や発作の記録をグラフにしたものも、久しぶりに見はじめたのですが、こちらは辛くなって途中でやめました。
こちらはもう少しようすを見て、考えていきます。
●慌てないけれど、そのままにもしておかない。
●今の私を支えてくれるものであれば残す。
このスタンスで、「今なら捨てられるかもしれない」と思えるタイミングをゆっくり待ちたいです。
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