実家へ行ったときに母から言われたひとことが悲しく、数日経った今も思い出すと涙が出てくることがあります。もう仕方ないことだと頭の中ではわかっているのですが、今回のはひきずっています。
でも、こうして文字にしていると気持ちが整理され、良い方へ考えることができます。いつも読みに来てくださってありがとうございます。
話したことも書いたことも忘れるようになってきた母
「ちょっと待ってね、手帳を見るから」母はそう言ってスマホを机の上に置いたようでした。しばらくして「はい、わかりました。待ってるね」と言って話は終わりました。
私からかけた電話でのやり取りです。週末に行くからねと伝えたあとのことでした。
でも実家へ行ったときは、なぜ今日来たの?とでも言いたいような顔で迎えてくれました。母は、覚えていなかったのです。
数日前に伝えたことをもう忘れてしまっている。手帳とカレンダーに書くと言っていたし、ほんとうに書いてありましたが、書いたことは忘れていたようでした。

良い時も、そうでない時も
実家ではできるだけ話を聞くようにしています。その日も、ひたすら聞き役に徹しました。
ただ、そのときに言われたひとことが私には辛くて、なかなか消化できずにいたのでした。
その母から遅くにまたメールが届きました。
いつもと変わらず短文だったものの、自分が言いたいことだけでなく、私の体調を気遣う言葉も添えてくれていました。
読んでいると、以前の母と何も変わらないように思ってしまいます。でも、今回のこともあり、前の母とはもう違うんだよと自分に言い聞かせているところです。
▶変わっていく母をどう支えるか(2)弟や妹を信じるのが先▶介護で弟や妹と仲が悪くなってしまうのを避けるため、心がけていること
私がうつ病で長く入院していたとき、母が言ったことが忘れられない
ふと、昔のことを思い出しました。私がうつ病で長期入院をしていたときのことです。
「今はもう,○○○(息子の名前)のことは考えなくていいから。自分の身体をちゃんと治そう」
「お母さんがそばにいるから」
入院していた病院のまわりを、母と一緒に歩いたときに言われた言葉でした。季節はいつだったか忘れましたが、吐く息が白かったので寒い時期だったのはたしかです。
当時のひとことと、今回のひとこと。
同じ人から言われたことなのに真逆のように感じます。これも今の母を思えば仕方ないことなのでしょう。
あのときの私は、息子の障害がわかって1年半ぐらい。
頑張れば息子は遅れながらでもみんなについていけるのではないかと思っていました。まだこの障害がどういうものかを知らなかったのです。
▶亡くなって9年、息子の遺品整理をさらにすすめるために始めたこと「なんとか他の子と同じように育てたい」
「療育のレールに乗り遅れまい」
病室で考えていたのはこんなことばかり。二度目の入院だったのに、まだ私は必死でした。病気が治りきらないまま退院し、また戻ってきてしまった、また迷惑をかけていると焦っていました。
そんな私を見かねて、「今は自分のことだけ考えたらいい」と母は言ったのでしょう。
自分のことだけ考えていいと言われても、あのときの私には受け入れられませんでした。
「自分に厳しく正しく生きよ」と、私がまだ幼い頃から言い続けてきた母です。急にそう言われても、素直に聞けませんでした。
けれど、長い入院中いっしょに過ごすうちに、私の気持ちは変わっていきました。
終わりに
30年近く経って思うのは、あとどのぐらい母と穏やかな会話ができるかということです。
昨日の電話のあと、母が話の内容をわかるうちに、できるだけ会話しておきたいと思いました。
キツい一言をぶつけられることもありますが、まだ今なら流せます。
昔話がよければ昔話、今の話がよければ今の話。同じ話ばかりでもいいので、母とできるだけ話をしておきたいと思います。
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