実家の母の物忘れが、去年あたりから多くなってきました。迷いは今もありますが、私の限界や立場もわかったので、できることを続けていこうと思っています。
▶変わっていく母をどう支えるか(2)弟や妹を信じるのが先▶困りました。母、自分で認知症を疑いはじめました。▶義母の介護のことはこの記事にあります母とのやりとりでは、何十年たっても忘れられない苦い思い出があります。今朝早くに思い出したので、書いてみました。

*先日、母が書いた文字
「じゃぁなんでお母さんはお父さんと結婚したのよ!」、これは私が10代の後半、父への愚痴を聞かされるたび口にしていた言葉です。
もしこんなことを私が娘から言われたら、辛いと思います。でもあの頃は言わずにはいられませんでした。
母は口数が少なく頑固。しんどい環境で育ったためか芯の強い人になったようです。
手に職を持ち、長いあいだ一人暮らしをしてから父と出会いました。自営業だった父を、結婚後も家で仕事をしながら支えました。
その強さは私たち兄弟に息苦しさを感じさせることもありましたが、この母だからこそという安心感も与えてくれていました。
ところが母は年齢を重ねるにつれ、父の言動にたいして「理解に苦しむ」とこぼすようになりました。私が高校生になった頃からだと思います。
老後への不安をくりかえし私に訴える。それは何年も続きました。
答えのない話を聞かされ続けるのは、嫌でたまりませんでした。答えなど、私には見つけられなかったからです。
たしかに父は、子供にもわかるような欠点を多く持っている人でした。経済的にも不安定だったため、老後が怖いという母の訴えもわからないわけではありませんでした。
でも若かった私は、母の愚痴にウンザリするようになり、話の最後には強い言葉を返してしまうことが増えました。
「だったら、なんでお母さんはお父さんと結婚したのよ」
「この人と決めたのは自分でしょう」
「なのにいつまでも愚痴を言うなんて卑怯よ」
なんて私は意地悪な子供だったのでしょう。母にしてみれば、愚痴をこぼす相手は私しかいなかったろうに。ただ、聞いてほしかっただけだろうに。
私がその気持ちを理解できるようになったのは、つい最近です。
できることならあの頃に戻って、母の愚痴にとことん付き合いたいです。今ならもっと優しく聞くことができるはず。

母はすっかり小さくなり、当時の頑固さも強さもなくなってしまいました。短期記憶が怪しくなり、今自分がしたことを忘れてしまう日もあります。
もう元には戻らないんだと思うと、やっぱり寂しい。
でも、母は元気です。身体は頑丈です。そのことにまず感謝しようと思います。
昔に戻ってやり直すことはできませんが、今からのことなら変えていけます。
母の話をしっかり聞こうと思います。会話がかみあわないときがあっても、記憶が飛んでしまうことがあっても。
そんなに良い娘になれるかな?なれるということにしておきます、今は。
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https://sayoslife.jp/blog-entry-1748.htmlだったらなんで結婚したのよ、と言ってしまったのを謝りたい
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