同居していた義実家には大きな仏壇がありました。過去帳には寛永の文字が。
夫はその家の長男でした。一人目が男の子だとわかったとき、私は心の底から安堵しました。今はこんなふうに考えないものなのでしょうか。でも、まだまだそういう時代だったし、土地柄もそうでした。
過去記事と私のプロフィール・ブログ村その子には障害があることがわかりました。2歳10ヶ月の頃です。しんどいことがあると、つい昔のことを思い出してしまいます。
でも、けっして後ろ向きな気持ちではないので気軽に読んでみてくださいね。

私のうつ病が悪化したのは30歳のとき。2度目の入院をした後は、義実家へは戻れませんでした。それから20年経って、息子は亡くなりました。
私が姑ならこんな嫁はしんどいです。関わりたくないと思ったかもしれません。
でも義母は私を見捨てなかった。子どもたちを見てくれました。感謝してもしきれないと思っています。
同居をやめてから、ふたたびその義母と一緒に暮らしはじめて、この春からは6年目に入ります。
義母をこちらへ呼びよせてから売ったので、あの古くて大きな義実家はもうありません。義母があの家からわが家へもってこれた物も僅かでした。どれほど義母は辛かったろうと思います。
義母のその持ち物のなかに、亡くなった息子が笑顔で写っている写真があります。
その写真立ての前に、義母は息子が好きだった珈琲を置いてくれていました。来る日も来る日も、小さなカップにいれて。
義母がもうそれをしなくなって、どのくらい経ったでしょう。
また一緒に暮らすようになってから、何度もしんどいことが起きました。そのたび私は、あの頃の記憶をたどるようにしてきました。
そして最後はいつも、今日と同じことを思い出します。寒いですが、無事に1日を終えられるようがんばっていきたいです!
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