同居していた義実家には大きな仏壇があった。過去帳には寛永の文字が。夫はその家の長男である。
一人目が男の子だとわかったとき、私は心の底から安堵した。
だがその子には、障害があることがわかった。2歳10ヶ月の頃だ。
私のうつ病が悪化したのは30歳のとき。2度目の入院をした後は、義実家へは戻れなかった。
それから20年経って、息子は亡くなった。
私が姑ならこんな嫁はしんどい。関わりたくないと思っただろう。
だが義母は私を見捨てなかった。子どもたちを見てくれた。感謝してもしきれないと思っている。
同居をやめてから25年、ふたたびその義母と一緒に暮らしている。この春で5年になる。
あの古くて大きな義実家はもうない。そこから義母がわが家へもってこれた物も僅かだ。どれほど義母は辛かったろうと思う。
義母のその持ち物のなかに、亡くなった息子が笑顔で写っている写真がある。
来る日も来る日も、義母はその写真立ての前に、息子が好きだった珈琲を置いてくれていた。小さなカップにいれて。
義母がもうそれをしなくなって、どのくらい経つだろう。

ふたたび一緒に暮らすようになってから、何度もしんどいことが起きた。
そのたび私は、あの頃の記憶をたどるようにしてきた。夫にもときどき声をかけて一緒に。そして最後はいつも同じことを思う。
私は生きているしこれからも生きていく。家族とともに。
ゆうべ、わが家の小さな仏壇の掃除をしていて思い出したことを書きました。
さあ新しい一日がはじまりました。みなさんにとっても私にとっても、今日がいい日になりますように。
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