息子が亡くなってまる7年。今日27日は月命日です。そんな日の早朝に考えたことを書きました。
ゆうべのtweet。息子が発する言葉の意味。
重い自閉症だった息子は 5歳か6歳ぐらいまでは1語文がありました。「ちょうだい」とか「ジュース」とか本当に少しだけ。
あとは、コマーシャルのフレーズを真似していうような自閉症児に特徴的なものも。
でも養護学校に入る頃には、完全に言葉はなくなりました。
言いたいことがあるときは、そばにいる人の手を持って取って欲しい(してほしい)もののところまで連れて行くという、これもまた自閉症の子によくある行動をしました。
指さしが出たのは、小学部3年生の時です。
あまりにも目の前にあるものを食べ続けるので、冷蔵庫の上に食パンを乗せていた時。
多動で、お腹がよほど空いていたのでしょう。4本の指を揃えて、冷蔵庫の上にある食パンを指しました。
あの瞬間のことを、私は一生忘れないと思います。そのぐらい感動しました。
障害児の家族ってのもいいかも・家族ブログテーマそんな息子が発する「あー」とか「うー」とか言う声も、はっきり覚えています。
声変わりもちゃんとしたんですよ。
その低くてちょっとハスキーな息子の声を、昨夜ふいに思い出しました。ドラマを見ていたときです。
フジテレビの「4つの不思議なストーリー」、最初のエピソードの時に思い出しました。
亡くなったお母さんと生きている子供の、心のやり取りを中心にした物語でした。
亡くなったお母さん役は石野真子さん。
図々しいと笑わないでください。
私は高校に入ったころ、当時「狼なんか怖くない」を歌っていた石野真子さんに似ているとよく言われていました。
なので、そんなことにも影響され、亡くなった子のことを思い出したのかなと。

私が息子を思い出すのは、私に対して なにかを教えてほしいときです。
世の中は今コロナ禍で大変なことになっているというのに、私の心配事といえば、義母に被害妄想を起こされないで済むにはどうすればいいか、そればかり。
でも、言わないと危ない、誤解する、そう思うことはやっぱり伝えなければなりません。
退院してから考えた義母の介護のこと自分の人生のことそんなときとても苦しくなるのです。
義母の出す大きな声、きつい言葉を思い出してしまう。
息子ならどう言うかな?と考えます。言葉は出ないのにね。

「お母さん、もうおばあちゃんのことは仕方ないよ、おばあちゃんだって好きでそうなってるわけじゃないだろ」
「 やれることはやって、あとは天に任せよう。運に任せてもいい」
「それともお母さんは、誰かに頑張ってますねって言われたいの?」
「しっかりしなよ 」
「ほどほどに元気で 幸せに暮らしてるだろー」
たぶん私が、息子にこう言って欲しいのです。
狭い狭い家の中で迷っている私に 喝を入れて欲しい。だから苦しくなったら思い出すのでしょうね。
さあ、一日がはじまりました。切り替えます。
できることはやって、できないことはそれなりに。これぐらいの気持ちで。
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