孫とひ孫に義母が嫉妬のような感情をいだくため、私が娘たちに会いにいくときは黙って行きます。嘘をついているのと同じなので少し後ろめたい。でも、一昨日はひさしぶりで、とても楽しかったです。
面白いですね、このぐらいの時期の子どもって。お母さん(娘)のすることに興味津々でした。
50代夫婦の結婚記念日
毎年その日は、朝一番に、娘からメールが来ます。
「お父さんお母さん、結婚32年おめでとう!これからも仲良くね」
娘はプレゼントも欠かさず贈ってくれます。今年は花束でした。
2歳上の夫とは、私が大学の3回生の時に知り合いました。その日のことは、今でもはっきり覚えています。
「32年間、ありがとう。これからもよろしくー」、今年もお互いそれだけ言いあって、あとはふだんと変わりなく過ごしました。

夫は恩人であり、同志でもある
今いちばん交流の多い友人も、ご主人のことを”同志”だと言っていました。
はじめてそれを聞いたとき、同じように思う人がいて嬉しかったのを覚えています。実家の母にそう言っても、ピンとこないようだったからです。性格や世代の差もあるのでしょうね。
障害児をしっかり育てていくという目標をもった同志
私は結婚後、長い期間入院していたことがありました。
そのときは、義母にも、実家の両親にも、たいへん世話になりました。障害の重い息子とまだ幼かった娘がいたからです。
でも、いちばん生活が変わったのは夫です。退院してからも、 私は最低限の家事もおぼつかない状態が長く続きましたから、そのフォローもたくさんしなければなりませんでした。
大きな身体でも夫が料理をするのは、私がそんな身体だったからです。
息子が所属していた入学前の障害児のグループ。そこの療育キャンプにも、まだ幼かった娘をつれ、親子3人で参加してくれました。
夫が頑張っていたのは、息子が参加できるものには積極的に顔を出そうという考えが、私と一致していたからだと思います。
初めての子どもに重い知的障害があると知ってからは、できるだけ夫婦で情報を共有してきました。

恩人
回復が遅かった私のせいで、夫はあっという間に有給休暇を使い果たしてしまいました。
会社側もいろいろと融通してくれましたが、結局は退職になりました。
好きな仕事をしていた夫に対し、このことは本当に申し訳なかったです。こうして書いていると、今でも胸が苦しくなります。
転職後も、私や子供たちのために早退せねばならないことも多かったです。肩身の狭い思いをしながら、働いてくれていたのだと思います。
今のように障害児を預かってくれるサービスもありませんでした。
なかなか元のように家事や子育てができなかった私を、そんなふうに支え続けてくれました。
50代になってから、また生活に大きな変化が

ここで何度も使っているこの画像は、二人で参加した障害児向けの勉強会や父母会の記録を含めた、息子関連の書類を処分しているときのものです。
亡くなった息子の部屋をもういちど片付けたのは、娘が出産して里帰りしてくるときの部屋にしようと思ったから。
前の年に義母を呼びよせていなければ、一階の和室を娘たちのために使ったと思います。
でも、それが出来なかったため、息子のものをさらに処分してその部屋を広く使えるようにしたのでした。

このとき夫婦で話したのは、「50代になってからまた忙しくなったね」ということでした。
50代は子供が巣立ったり親の介護がはじまったりするいっぽうで、老後への備えも最終段階に入っていく年代だと実感していたからです。
まだこの先でどんな変化があるかわかりませんが、私たち夫婦は50代に入ってからの数年が、人生でもっとも変化の大きい時期になりました。
介護のためのリフォーム、娘の結婚、出産、孫の行事や新居へのお祝いなど、お金もたくさん必要でした。
終わりに
「もし、妻が私でなければ、この人はもっと幸せな人生を送れたのではないか」
夫に対するこの思いは今も消えないし、今後もなくなることはありません。
でも、昔のように苦しくなることはありません。良くも悪くも、図太くなりました。
心臓に毛が生えてるなんていいますけど、まさにそんな感じです。
これからはそんな強い心臓を動かしながら、夫婦で楽しく生きていきたいです。

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