2013年の5月に亡くなった息子の命日を、まもなく迎えます。
あの日の朝は曇っていて蒸し暑くて、雨が降る前の土の香りがしていました。
こんなふうに7年前のことを部分的にでも覚えているし、感情がふいに昂って泣くこともまだあります。
ですが、自分に対する怒りや、起きたことに対する悲しみは、別の場所に置いておけるようになりました。
それが良いことなのか悪いことなのか、よくわかりません。
ただ、気持ちはだいぶ前向きになり、少しくらい苦しいことがあっても「きっとなんとかなるさ」とやり過ごせるようになってきました。
今日を無事に終えられたら、もうそれで充分です。

想定外のことを経験すれば、どんな人でも普通の暮らしのありがたみがわかるようになる。
非難する人もいるけれど、応援してくれる人もいる。
もっと心が強ければそう受け取れたかもしれないのですが、私には難しいことの方が多かったです。
それでも書き続けたのは、シンプルに、ただ書きたかったからです。
自分の欲のためです。
読んでいただくのを前提に書くことで頭の中を整理でき、そこからまた気持ちを切り替えることができています。
目標も数字でしっかり据えました。
目標があれば逃げないと思ったし、少しでも引いて考えられるようになると思ったからです。
はっ!またなんだか堅苦しくなってきてますね。
いかんいかん・・・。
いつもお読みいただき、ありがとうございます!

息子のものを手放していくことに対する罪悪感や寂しさは、これからもずっと消えることはないと思います。
でも、整理していかねばならないものはたくさん残っています。
ではどうすればいいか。
答えは1つです。
悔いが残らないよう、自分で決めて、自分で出来るうちに片付けていく。
「今から整理していこう。早すぎることはない」。苦手な片付けを続けるうちに、私はそう思うようになっていました。
鯉のぼりを寄付した本当の理由【身軽に生きていくための断捨離】 
先日、実家の母からメールがきました。
「明日は誕生日ですね。お身体を大切に。無理しないようにね」
無口で厳しくて頑固な母は、これと決めたら最後までやり抜く人でしたが、老いてだいぶ穏やかになりました。
一度も染めたことのなかった髪はすっかり銀髪になり、ピンと伸びていた背中も小さく丸くなってきました。
でも母には、自分がまだ頼られる存在であると思っていてほしいです。
「これからも、私にいろいろと教えてください」
息子の命日が過ぎたら、今度は私の方からメールを打とうと思います。
母のように、私も強くありたいです。
そのためにも、自分の弱いところを率直に認めながら書いていきます。
またお立ち寄りください。お待ちしています。
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