2013年の5月に亡くなった息子の命日をまもなく迎えます。あの日の朝は曇っていて蒸し暑くて、雨が降る前の土の香りがしていました。
こんなふうに部分的にでも覚えているし、感情がふいに昂って泣くこともまだあります。
ですが、自分に対する怒りや、起きたことに対する悲しみは、別の場所に置いておけるようになりました。
それが良いことなのか悪いことなのかは、よくわかりません。
ただ、気持ちはだいぶ前向きになりました。少しくらい苦しいことがあっても、「きっとなんとかなるさ」とやり過ごせるようになってきました。
今日を無事に終えられたら、もうそれで充分だと思っています。

なぜ非難されても息子のことを書き続けるか。
そもそもなぜ、今朝こんなことを書こうと思ったか。それは、はじめに書いたように、命日がもうすぐやってくるからです。
書き続けるのは、私がそうしたいからです。シンプルに。ただ、書いて読んでもらいたいと思っているから。
また、読んでいただくのを前提に書くことで頭の中を整理できるというのも魅力です。そこからまた気持ちを切り替えることができています。
つまり、自分の欲を満たすために書いているということです。
ブログに対しての目標も、数字でしっかり立てるようにしました。目標があれば逃げないと思ったし、少しでも引いて考えられるようになると思ったからです。
はっ!またなんだか堅苦しくなってきてますね。いかんいかん・・・。
いつもお読みいただき、ありがとうございます!

息子のものを手放していくことに対する罪悪感や寂しさは、これからもずっと消えることはないと思います。
でも、整理していかねばならないものはたくさん残っています。
ではどうすればいいか。答えは1つです。
悔いが残らないよう、自分で決めて、自分で出来るうちに片付けていく。
「今から整理していこう。早すぎることはない」。苦手な片付けを続けるうちに、私はそう思うようになりました。
鯉のぼりを寄付した本当の理由【身軽に生きていくための断捨離】 
先日、実家の母からメールがきました。私の誕生日がもうすぐやってくるのを覚えていたようです。
「明日は誕生日ですね。お身体を大切に。無理しないようにね」
無口で厳しくて頑固な母は、老いてだいぶ穏やかになりました。
一度も染めたことのなかった髪はすっかり銀髪になり、ピンと伸びていた背中も小さく丸くなってきました。
「これからも、私にいろいろと教えてください」
息子の命日が過ぎたら、今度は私の方からメールを打とうと思います。
母には、自分がまだ頼られる存在であると思っていてほしいです。
母のように、私も強くありたいです。そのためにも、自分の弱いところを率直に認めながら書いていきます。
またお立ち寄りください。お待ちしています。
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