死んだ息子は障害が重く、学校の先生はじめ医療や福祉の面でも大勢のプロの方に関わって頂きました。
感謝しています。今でも。
けれど息子が不安定になるたび提案して下さることに対しては、私はいつも慎重で頑なでした。
「この子のことは誰よりも私が知っている」この気持ちを捨てられなかったし、それで良いと信じていたからです。
自分と他人を無理に合わせる必要はない。たとえお互い不愉快になるとしても。
今もそう思っています。
けれども、もう少し人を信じられる柔軟さが私にあれば、息子の未来は変わっていたと思います。
そう考えるとやはり辛いです。
でも過去はもう変えられません。変えられるとしたら、今から先のことだけです。

「これって世間的にはNGだよね?普通じゃないよね?」
断捨離を意識する前の私は、こう思う事はブログに書きませんでした。
勘違いしたまま公開した記事は、気付くと慌てて削除していました。
でも今は、どちらもしなくなりました。
物を減らすうちに、自分の気持ちも周りの状況もよく見えるようになってきました。
どうして私はこんなことに拘っていたのか。
何故いつまでも過去の失敗をひきずるのか。
でも、無理にこの部分を改めようと力まないことにしています。
意固地な面、卑屈な面、変わり身の早い面。すべてが私にとっては”普通”のこと。
「これが自分。これが普通」
捨てる物や残す物を選んでいるうちに、私はこれでいいのだと、前向きに認めることができるようになりました。
マイペースでのモノ減らし、おすすめです。
人と自分の”普通”を比べなくなってきます。