今日はお逮夜日。
息子が亡くなったのが27日だったので、その前日はご住職がお見えになります。
毎月のこの行事も、もう三年目に入りました。
早朝からお経を唱えていると、一ヵ月分の汚れた気持ちが浄化されていくように感じます。
「シンプル」という言葉を辞書で引くと、
「単純なさま。簡素なさま。飾り気のないさま」と出てきます。
私の今までの暮らしは、全てがこの逆でした。
複雑に考えて、自ら難しくして、飾って盛って中身をごまかす。
見た目も暮らしもオシャレにしたい。
カッコよく見られたい。
頭の中はこんなことばかりでした。
息子の墓参りに行ってきました。
帰り、義実家へ寄りました。
木枯らし一号が吹いた昨日は少し寒かったですが、義母は元気でした。
田舎の家特有の、生活するにはちょっと不便なくらい広い空間を、常に美しく保ってくれています。
「今年はうまく出来た。」と野菜をたくさん持たせてくれました。

早朝から暗くなるまでよく働く。
雨の日なら、家の中で出来る用事はないかと探す。
自ら育てた旬のものを旬のうちに食べる。
この土地で繰り返されてきた行事を淡々とこなす。
驚くほど物を捨てられる人。
晴耕雨読を地で行くような義母の暮らしぶりは、シンプルそのものです。
前向きで、愚痴や弱音を吐きません。
何事も溜めこまない人なので、驚くほどさっさと物を捨てます。
そうしなければこの地特有の付き合いもこなせなかったろうし、家事はもちろん内職も畑仕事も出来なかったのでしょう。
とても立派です。
でも、この立派な義母の生きざまは、私にとってはプレッシャーでした。同じようにせよと言われているように感じてしまい、いつも苦しかったのです。
同居解消から、もう何年経ったでしょうか。
本当にいろいろなことがあったし、これからも起きると思います。でも、それはそれ。
するべきことを淡々とこなす。
難しく考えない。
素直でいる。
きっと出来ないと敬遠していた義母の暮らしぶりが、今ではお手本にしたいものになりました。